家事代行はお任せください!
家族みんなが下宿人のようになっている。
遠距離・長時間通勤は勤労者自身の疲労の回復、家族の団欒、子どもの成長、老人の福祉、コミユニティの形成などに弊害をもたらしている。
阪神大震災級の直下型地震が平日・昼間の東京で起きたら、都内で働く人のうち約二四〇万人が「帰宅困難」になると、警視庁は発表した(『朝日新聞』一九九七・八・二六)。
昼間の地震によって予想される悲劇は、その日常生活の凝縮した姿とみるべきであろう。
いのちを救った福祉施設おなじことは、市民の生活空間の中のすべてについていえる。
小学校などの避難施設に逃れそこで我慢したお年寄りなどは、寒くてプライバシーのない劣悪な居住条件のもとで、半年ほどのあいだに八〇〇人以上が亡くなった。
だが高齢者の一部は特別養護老人ホームなどに移された。
避難所ではのみくだすことのできなかった固くて塩辛いおにぎりは、施設ではお粥にし塩分を抜いて食べられた。
からだをお湯で拭いてもらえた。
施設はやがて同じようなサービスを、周辺のお年寄りにもはじめた。
老人ホームなどにはデイサービスセンターの併設されている場合が多く、高齢者の所在が分かっていた。
老人ホームなどの福祉施設には、心身機能の衰えた高齢者を日常的に介護する寮母などの老人介護の専門家や栄養士がいる。
日常の仕事として高齢者介護にあたり、心とからだの健康と自立を支え、生活を支援している。
それが震災時に高齢者のいのちを救うことに力を発揮したのは、当然であった。
まちの中にたくさんの福祉施設がありそのネットワークができていれば、日常的な高齢者介護のみならず、緊急時の救急防災施設として果たす役割も大きい。
定員の区別割合(神戸市,1995年1月現在.上田耕蔵)だが、最大の被災地神戸市の福祉施策は、一二の政令指定都市の中でも低水準に属した。
たとえば、平成六年度の特別養護老人ホームの定員率(六五歳以上人口一〇〇に対する定員数)は全国平均「二に対し神戸市は〇・八で二一の政令指定都市の中では最下位、老人保健施設は〇・五に対し〇・二で、同じく下から三番目、ホームヘルパーの六五歳以上人口一〇〇人当たり年間利用日数は全国の八三・七日に対し六「三日で、同じく下から六番目、デイサービスは九二六日に対し三三・九日で下から二番目、などである(平成七年度版「老人保健福祉マップ」財団法人長寿社会開発センター)。
それも都心からバスで三〇分も行かねばならないような、日常的に利用できず震災時の救済活動に役立たない山の中の開発型総合福祉ゾーン(巨大施設群)を含んでの数字だから、市街地内部にはいかに少なかったかが分かる(図2参照)。
神戸市の場合、市の福祉施策が立ち遅れていたために犠牲はさらに拡大してしまった、と指摘せざるをえない。
浅野史郎宮城県知事は就任後すぐ、すでに進行中のこの種の郊外での総合開発型福祉施設の建設を中止したといわれる。
ひとつの見識であった。
町なかの医療機関の役割病院や診療施設も同じである。
医療機関はもともと人の健康を守りいのちを救うのが使命である。
そこには、気力や体力が弱り、病いをかかえた人たちが来る。
心身の不自由な老人、障害者、乳幼児を抱きかかえた母親が来る。
医療施設までは自分の家から安全で便利に行けることが望ましい。
震災時、まちの中の医療機関は大勢の負傷者の手当てをし、いのちを救った。
しかし、緊急時に対応する役割を受け持たされている三次救急病院としての神戸市立中央市民病院は、一九八一年に新神戸駅前から人工の島ポートアイランドに移されていた。
そして地震でモノレールは落下し道路は傾いて交通は遮断され、島外から負傷者を搬送できず多くの生命を教えなかった。
図3神戸市の全障害者施設定員(2,697人)の区別割合(神戸市,1996年6月現在)小規模でもよいからまちの中に診療所や医院や小病院、そして福祉施設がたくさん網の目のようにあることは、高齢者や乳幼児や妊婦や病人・障害者などにとって医療や介助を受けやすい福祉のまちづくりにつながる。
在宅医療・在宅介護にとっても重要である。
それが、緊急時には人のいのちを救う防災拠点となる。
学校には障害者がとどまれなかった学校に避難した障害者は、何日もはそこにとどまることができず、再びほかへ移って行った。
学校は軽度の障害児の養護クラスをもつ場合もあるが、多くは健常児向けにできていて、車いすで使えるトイレもスロープもない。
避難した視覚障害者や肢体不自由者にとっては、危なくて歩ける状態ではなかった。
震災後なんらかの場所に避難した心身障害者は約四割だが、そのうち再移動した人は六割を占めている。
避難所から再移動した時期は「三日以内」が四割、「一週間目まで」が五割、「一月目まで」が約七割である。
障害者たちは、傾きかけたわが家、養護学校、盲学校、ろう学校などへ移っていった。
それでも安心できる避難所に恵まれなかった障害者は再々移動していった(「心身障害者生活実態調査報告書」神戸市市民福祉委員会、平成八年一二月)。
「大震災から二、三日すると、多くの障害者が避難所では暮らせないと去っていきました。
また、地震の直後、近所の人から避難所へ行こうと誘われても、出かけることのできない障害者がたくさんいました。
」「(神戸市の障害者)施設は北区と西区に集中しています。
須磨区と中央区にもありますが、いずれも奥まったところにあります。
……街の中に障害者施設があれは、そこへ避難した障害者も多くいたのではないでしょうか。
障害者の対応に長じた人たちがいるのですから、安心して避難生活ができたのではないかと考えられます。
…・‥住んでいるそばに障害者や高齢者の福祉・医療の施設があれば、日常的にその地域の障害者や高齢者との結びつきがあり、災害時にそのパイプが生きてきたのではないかと考えられます。
」(窯津右次『みんな輝け-黒津先生の障害者教室』せせらぎ出版、一九九六年)障害者施設だけではない。
もしすべての学校が日ごろから障害児童を受け入れる統合教育を実施していれば、スロープや手すりがもうけられ、障害者、高齢者、病弱者にもある程度対応でき、避難者を締め出すことにはならなかったであろう。
また障害児を受け入れる学校は、一般の児童が骨折したとき、先生が妊娠したとき、障害をもった父母や高齢の祖父母が学校参観にきたときなどにも対応できる。
ほんとうの危機管理とは震災後、危機管理の欠如が指摘された。
地震時の行政相互の連絡・対応の遅さ、自衛隊初動態勢の遅延、首相官邸や内閣官房の機能の不明確、情報通信機能の不備などである。
その論議も必要であろう。
だが、行政が日常から市民のいのちや健康を守ることにとりくまないで、どのような防災対策も成立しない。
危機管理とはまず日常、市民が快適に暮らせるまちにすることが基本である。
それを放置したままで、いのちを救うことほできない。
防災は役所の「防災対策課」だけの仕事ではない。
すべての行政とかかわっている。
各部局が、市民のいのちと健康を守り、自然を壊さず、福祉を充実させ、子どもから高齢者までの人間性を尊重する立場に立って行政にとりくむ、それが防災につながる。
ふだん市民の人権を尊重しない行政が、震災時に市民のいのちを守ることはできない。
防災とは、日常から市民のいのちと生活を大切にする自治体であるか、政府であるか、そのことにかかっている。
そのためには、もちろん主権者である市民が、安全を保障する生活環境の実現を常に要求し、居住政策の策定に参画していかねばならない。
家事代行に関することでは主に家事代行が重視される。
「データの参照やリポートの作成、家事代行の自動化」といった使い方にとどめてしまっている家事代行は少なくない。
耳寄りな家事代行といえばココ、家事代行是非ご活用ください。
